設立趣旨
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アジア都市環境学会会長 尾島俊雄
20世紀の後半は、日本の高度経済成長に伴って多くの新産業都市が建設され、同時に労働集約としてのニュータウン建設や都市再開発が促進された。その結果、騒音、振動、地盤沈下、大気や水質の汚染等、激しい都市公害をもたらした。
当時の東京オリンピックや大阪万博、筑波科学博におけるナショナル・プロジェクトの設計活動等を通じて、急速に拡大し成長してゆく都市にとって、都市環境工学の重要性と必要性を痛切に感じた次第である。
1970年には早稲田大学において、日本で最初の「都市環境工学講座」を建築学科に開設した。2000年末に至ると、私の研究室からの卒論生は700余人となり、修論生は220余人、博士50余人、アジア諸国からの留学生は40余人となった。現在、大学の教授・助教授として活躍する人材も50余人を数えるに至っている。
今後の都市環境問題の成否を決するのはおそらくアジアの動向であろう。アジアの各国・地域での環境問題への取り組みの着実な前進と、アジアにおける環境協力の発展なくしては地球環境保全への途を切り開くことは出来ない。
ここにおいて、アジア各国の研究者を相互に繋ぎ、交流・協力の場を用意するために国際的組織を設立し、これを足場にアジアの都市環境研究の一層の発展を計ることが急務と考える。
21世紀の初頭にあたり、「アジア都市環境学会」を創立する主旨は、まさにこの要に応ずることにあり、先ずはこの分野で活躍している尾島研OBを中心に発足させることの合意を見るに至った。 それぞれの都市にはそれぞれの生命があり、文化があり、文明が芽生えていることを調査研究すると共に、その情報を社会に広報することによって、各々の都市が生き生きと輝くことを願って本学会を設立した。
当時の東京オリンピックや大阪万博、筑波科学博におけるナショナル・プロジェクトの設計活動等を通じて、急速に拡大し成長してゆく都市にとって、都市環境工学の重要性と必要性を痛切に感じた次第である。
1970年には早稲田大学において、日本で最初の「都市環境工学講座」を建築学科に開設した。2000年末に至ると、私の研究室からの卒論生は700余人となり、修論生は220余人、博士50余人、アジア諸国からの留学生は40余人となった。現在、大学の教授・助教授として活躍する人材も50余人を数えるに至っている。
今後の都市環境問題の成否を決するのはおそらくアジアの動向であろう。アジアの各国・地域での環境問題への取り組みの着実な前進と、アジアにおける環境協力の発展なくしては地球環境保全への途を切り開くことは出来ない。
ここにおいて、アジア各国の研究者を相互に繋ぎ、交流・協力の場を用意するために国際的組織を設立し、これを足場にアジアの都市環境研究の一層の発展を計ることが急務と考える。
21世紀の初頭にあたり、「アジア都市環境学会」を創立する主旨は、まさにこの要に応ずることにあり、先ずはこの分野で活躍している尾島研OBを中心に発足させることの合意を見るに至った。 それぞれの都市にはそれぞれの生命があり、文化があり、文明が芽生えていることを調査研究すると共に、その情報を社会に広報することによって、各々の都市が生き生きと輝くことを願って本学会を設立した。